なんだか知らないが突然、設計書が出来たか上司から催促があった。
まだ出来ていなく、不安な様子。
今日・明日には出来ますといって、帰ってしまいました。
明日早く出社して、なんとかしないと!
家に帰宅したのは30分程遅くなった。
両親は歌謡曲を観ていた。
私の知らない曲ばかり。
フォークソング中心ですね。
さて、土曜日出社が決まりました。
その分、代休取りたいなぁ~。
なんだか知らないが突然、設計書が出来たか上司から催促があった。
まだ出来ていなく、不安な様子。
今日・明日には出来ますといって、帰ってしまいました。
明日早く出社して、なんとかしないと!
家に帰宅したのは30分程遅くなった。
両親は歌謡曲を観ていた。
私の知らない曲ばかり。
フォークソング中心ですね。
さて、土曜日出社が決まりました。
その分、代休取りたいなぁ~。
7時過ぎに起き、昨日の事が不安で仕方ない。
朝からインスタントの味噌ラーメンを食べる。
食べ始めると父も起きだし、すぐに少しラーメンを食べる。
母は9時に病院が予約してあったので出掛ける。
家に残った父と私は、高校野球を観る。
昼はカップ麺、父は食パン2枚。
食いすぎかなと思っていたが...。
14時になり、パチンコへ(笑)。
父・母は本当に好きだなぁ。パチンコ行くときは動きが機敏になる父。
帰宅したのが19時過ぎ。
タイガーマスクで敗れて帰ってきたみたいだ。
最後に少し戻したと言っていたが...。
丁度、今日は日本代表チームとJリーグ選抜のチャリティーマッチ。
夜はおにぎり2個とうどん。
食いすぎた....。おまけにアイスも。
明日からダイエット!少し昼飯控えよう。
試合は2-1で日本代表チームの勝ち。Jリーグ選抜はキング・カズが入れました。
涙が出るほど嬉しかったです。
国歌斉唱からいつもと違う雰囲気での試合。
まだまだ放射能の問題も片付いていないですが一刻も早く復興が始まって欲しい。
両親はパチンコ疲れで22時には眠ってしまった。
さて、僕もそろそろ寝るかな。
先週は土日出勤の為、代休を明日取ります。
ところが朝から忙しい。
仕事でデータベースのサイズ拡張が必要になり、緊急対応を実施。
定時後もお客様と相談し、承認を得ました。
もし、処理が失敗したら自らのクビが飛ぶからしっかりしてくれと頼まれる。
不安で胃が痛くなりつつもなんとか予想サイズを割り出し、お客様に報告。
翌日休みなのに不安で仕方が無い。
19時には仕事を終えて、帰宅。
父も母も起きていた。
夜はトンカツやゲソの揚げ物。そういえば、昼はトンカツだったなぁ。
その事は内緒にしてなんとか食いきる。
食べ過ぎた..。
11時半過ぎに家族皆一緒に眠る。
朝8時過ぎに起きる。
今日は10時に家を出る事にしていたので朝起きてからアニメを観る。
久しぶりに父の「ドラゴン、ドラゴン、ドラゴンボール」という言葉を聞いた(笑)。
ドラゴンボールとワンピースを観て、すぐに出社。
仕事は17時前に終り、すぐに帰宅。
19時過ぎに到着すると、もう弟は帰っていってた。
父・母はパチンコへ...。
全く...。
まぁ、本人がやりたいことをたくさんやらせてあげたいので我慢!
土曜日、週末メンテナンスの為、仕事に向かったが急に日曜日も出ることが決まった。
終わったのが夜10時、帰宅したら12時半頃。
弟は来ないと聞いていたのだが、家に来ていた。
良い弟で、帰宅し食事、風呂終えたら、コーヒーキャラメルを作ってくれた。
これがまた上手い!アイス溶かすと美味しいんだよね。
明日も仕事頑張ります。
父とはこの日は一度も会話ありませんでした。
今日は、事前に電車本数が少ないとわかっていた。
帰りは青梅線が30分に1本の割合になっていて疲れた。
帰宅すると、弟は今週末は仕事で帰って来ないと聞いていたのに帰ってきていた。休みになったのかな?
部屋に入ると皆食事を終えた状態で、夕食は牛丼だった。大盛りで父は普通盛りを昼・夜に食べたそうだ。
今日から抗がん剤を飲み始めたのでしばらくは副作用がどうでるのか不安です。人間誰でも死が訪れるので仕方ないと口にしていたので正直辛かった。でもなるべく痛みがなく死んでいきたいとも言っていた。少しでも長く元気で居て欲しい。
「被ばく線量の最大値が自分でよかった」。福島第1原発3号機への放水に参加した東京消防庁第3方面本部消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)の石井泰弘部隊長(47)が24日、時事通信の取材に応じ、緊迫した作業を語った。 石井隊長は18日午後5時すぎ、周囲の放射線量を測定できる「特殊災害対策車」に乗り込み、先陣を切って敷地へ入った。放射線量の高い区域を調べ、放水車などの配置を決めるためだ。しかし、作業は難航した。水を吸い上げる予定の岸壁は崩壊し、別の地点からホースを伸ばす経路では、津波で横滑りした巨大タンクが行く手を遮る。隊員が屋外に出て、人力でホースを運ぶ方法も強いられた。 石井隊長らはホース運搬部隊の被ばく線量を測定。隊員は胸に線量計を着用しているが、作業中は確認する余裕がない。「自分の被ばく線量が彼らとイコールになるよう常に付き添った」。息苦しいマスク越しに大声を出し、必死で数値を伝えた。 「水が出たぞ」。無線機から一報が聞こえた。「その瞬間、『やった』という達成感があった。みんな同じ気持ちだったと思う」。全隊員の脱出を確認し、最後に敷地を出た。 胸の線量計は、全隊員のうち最も高い「27ミリシーベルト」を示した。しかし、石井隊長は「自分でよかった」とほっとした。「自分の被ばく線量が最大ならば、隊員は自分より安全。それが我々のやり方だ」と話す。 敷地への進入前、石井隊長は部下に問い掛けた。「かなり困難な活動になるが、いいのか」―。「やります」。弱音を吐いた隊員はいなかった。 「素晴らしい隊員を持ち、誇りに思う。一人一人が日本のために頑張らなくては。命令があれば、また行く」。部隊は東京・渋谷の本部に戻った今も、次の派遣に備えて機材の整備を続ける。
宮城県警は25日、東日本巨大地震で県警の警察官10人が死亡し、4人が行方不明になっていると発表した。その多くは交番や駐在所など最前線での任務に就いており、住民に避難を呼びかけている最中などに津波に襲われた。住民たちは「最後まで私たちを守ってくれた」と悼んだ。
「逃げて下さい」。気仙沼署大谷駐在所の巡査部長、千田(ちだ)浩二さん(30)は地震直後にパトカーで出動した。大声を張り上げて避難誘導する姿が、住民たちに目撃されている。
千田さんは昨年4月、駐在所に配属。気さくな性格で、すぐに地元に溶け込んだ。近くの岩下勝重さん(66)は「誰とでも仲良くなり、長年住んでいるようだった」と振り返る。昨年7月の地区の沖釣り大会で、カレイなどの釣り方を教えた岩下さんに「釣り道具一式を買いました」と報告し、一緒に釣りに行く約束をしていた。
昨秋の祭りでは、交通整理をしていた千田さんは、みこしを担いで海に入る男たちと一緒に海に飛び込んだ。前夜祭では青年部の演劇に出演し、酒を酌み交わした。
千田さんは地震があった11日、妻(30)、長女(4)、長男(3)を安全な場所に避難させるとすぐに任務に戻った。消防団員の中沢誠太郎さん(40)は「無理はせず、すぐに逃げた方がいい」と声をかけ、千田さんはうなずいた。
千田さんは同日夕、小川近くの土手で遺体で見つかった。顔に付いていた泥を、中沢さんはぬぐった。「あの時、無理にでも引き留めておけばよかった。彼は最後まで自分たちを守ってくれた」と話した。
今日帰ってきたら、父は母に怒られてました。
また、軽食してたみたいでカンパンを食っていたらしい。
食いすぎで胃の消化が追いつかないのを恐れてます。
甘やかしすぎると苦労するし、本人が食べたいものを食べさせたい気持ちもあるので非常に難しいです。
父・母には、弟が帰ってきたタイミングでどこか行こうと誘いました。
生きているうちにたくさんの想い出を作りたいです。
入院中に中華街へ行きたいと言っていたので父の願いを叶えたいです。
それともいまは、中華街より他のところへ行きたいのかな。
とりあえず父の要望を聞いていこうと思う。
行動派早く!
今日の夜は寒かった。途中、雪も降っていてびっくりしました。
明日も天気悪いのかな?
そういえば、父はあと15年生きられたらなぁと呟いた。その言葉を聴いて悲しい。
でもでも、希望がないわけじゃないと信じたい。
今日は朝から雨が降っていました。
放射能の恐れもあるから、父が車で駅まで送ってくれました。
父が運転する車に乗るのは久しぶりだなぁ。
帰りは、雨も止んだし父も疲れているだろうから歩いて帰ることにした。
家に着くとじっとコタツで暖をとっている父。
今日も一日元気そうで良かった。
病院へ今日行ったのだが、抗がん剤の説明と精神科へ通ったそうです。
抗がん剤の値段は高いですね。詳しくは聞いてませんが...。
そういうわけで私も実家に入れるお金を倍近く増やしました。
天気は非常に良い。
弟は午後から仕事のようで朝8時過ぎに起きて帰って行った。
昨日録画していたワンピースのビデオを観たり、日曜日なのでアニメを観て過ごす。
朝は父が久しぶりに買い物に車で出掛けた。
運転は3ヶ月ぶりくらいだろうか。
その間、近くの叔母さんが天ぷらを作ってくれて叔父さんが持ってきてくれた。
偶然?、昼はうどんにする予定だったので、天ぷらうどんになった。
父の食事制限はしっかりしないといけないので、きちんとうるさく言いました。
食べたのは、掻き揚げ、ちくわを1個ずつ、さつまいもを半分食べました。
昨日は焼きそばを食って消化しきれずに吐いたので心配でしたがなんともありませんでした。
夕方は皆、お昼寝。夜再び、うどんを食べる。
今夜は家族皆早く眠ってしまった。私もそろそろ寝る予定。
朝6時過ぎに起きる。
今日は10時から立川で待ち合わせしていたので早起きした。
電車も無事に動いており、12時頃には帰宅。
父もその頃には起きており動いていた。
夕方にお彼岸で墓参りをしました。父は在宅...
夜はまたゆっくりテレビを観たりして過ごしました。父は趣味の切手整理をしてました。
夜中ふらついて棚にぶつかったりしているので気をつけてあげないと....
原発問題は、ハイパーレスキュー 隊員の活躍により放水作業は無事に終わりました。
過酷な任務にあたった隊員の方々皆様、本当にご苦労様でした。
今日は、通常通り電車が動くと安心していたが帰りの電車では1時間に1本だった。
運がよく弟が実家に帰っていたので迎えに来てもらった。
父はテレビを見て自宅で休んでいた。明日から3連休。嬉しいです。なかなか休みが取れなかったりしたのでのんびりと過ごします。
今日は帰宅時間より15分ぐらい早めに帰らせてもらいました。
大規模停電が予想されているためです。
駅構内は暗くもうこの世の終わりみたいな感じでせわしなく皆が帰宅に向かっている。
自宅に到着したのが20時半過ぎ。
父は寒くてコタツでサスペンスを見て休んでいる。
すぐに夕食を食べて、風呂をはいるが、父は風呂は風邪引かせると大変なので止めさせる。
テレビを見ていたが23時前には父は眠りに行く。
結局この日は大規模停電は中止になりましたとさ。
今日は父が退院してきます。
でも、私は路線が使えるので仕事に復帰。
ところが電車に乗ると、15時には電車が停止する放送が流れる。
仕方ないので少し会社で仕事をして、母にどうなるのか聞いてもらうことにした。
(どうせJRに私が電話しても通じないだろうから)
しばらくすると返信があり14時には停止されるということで、急いで帰宅準備を始める。
11時前には仕事場を離れ、13時半にはロッテリアで昼飯を食べて帰宅。
父は既に自宅に居て休んでいた。
入院中に録画していたSPを観ていたところだった。
嬉しかったです。
今日は、路線が動いていないため、自宅にて仕事(在宅勤務)。
こんなときにサーバって故障するんですね。
自宅から指示を与える。
自宅でのんびりくつろぐってわけにはいかないね。
月曜昼過ぎに病院へ向かう。
父はまあまあ元気そうで、特に昨日食べたきんぴらも大丈夫のようだった。
父と談話室で話をしていると、電話が鳴った。
会社からで至急、在宅勤務に変更で仕事をしてくれと依頼があった。
仕方なしに急いで自宅に戻り家で仕事開始。
夜6時なんとか仕事を終え、その間に父から電話があり退院が水曜日になったと聞いた。
めちゃくちゃ嬉しかった。
その後、父から着信があったので心配で一度病院に向かった。
特に用事はなかったようで、退院が決まった旨を電話してくれたとのことでした。
退院日、仕事休みだったらよかったのになぁ。
前日、水が買えなかったので朝からカインズホームに行く事にしていた。
開店が9時の為、8時40分には自宅を出る。
父の一時外出時間は10時なのでそれまでには病院行かないと!
カインズホームに到着すると既に10人ぐらい到着。
灯油を買う人も多いためか、レジ数を増やすらしい。
9時に開店をして急いで飲料水売り場に向かうが既に昨日売り切れになったと言われる。
仕方ないので、緑茶(伊衛門茶)を箱買い。
他にトイレットペーパーやティッシュを買って他の店を回る事にする。
たまたま入った薬局バイゴーで水を探すと偶然見つけた。
7本程買って、そのまま父の待つ病院へ。
父は着替えをしている最中だった。
すぐに父を連れ出した。
昨日帰宅してから、西友に買い物行ったのだが水が既に売り切れていたのだ。
仕方無しにお茶を買ったんだけど、今日、カインズホームで水を買いに行く事にしていた。
父の外出時間開始10時前に行く為、8時40分頃カインズホームへ向かった。
途中、ガソリンスタンドを通るがどこも列をなしている。(ガソリンも被災地へまわしている?)
9時開店前には人が結構おり、開店と同時にまずは水売り場へ。
ところが水が昨日で売り切れの状態になっており店員が説明をしていた。
水は諦め、緑茶を購入。他にティッシュも買いました。在庫もなくなりつつある....。
カインズホームの後、最後に水が売られていないか、薬局バイゴーへ向かったが丁度何本か残っていた。
7本買って車に積み、父が待つ病院へ向かった。
10時前に到着して、父は着替えを開始していたところだった。
すぐに車に向かい、帰宅。
植木をいじりだしていると、前の叔父が来てくれた。
その後、昼を食べて、父を床屋に連れて行くことにした。
いつも通っていた1000円カットです(汗)。
先客が5名程おり、30分程で終わった。5分刈りにしてもらい、短くなった父の髪。
車をそのまま、みずほモールへ向かわせた。父は自宅に置いていこうと思っていたが
行きたそうにしていたので連れて行った。
まずは父を椅子に座らせ、私は靴を購入。その後すぐに父が待つ椅子へ向かい、母の居る食品売り場へ。
多くの客が食品を購入していた。
すぐに帰宅して夕飯をとることにした。病院に戻る時間が17時半となっていたためだ。
母は夕飯をすぐに作り出し、父に食べさせた。
きんぴらも食べたいと言うので少しだけ食べさせた。
お腹が空くだろうとパンを一斤持ち病室に連れて行った。
私達はすぐに病室を出て、精米所へ。。。その後、重い米を持って自宅へ。
朝父から、鼻の管が抜けたというメールが届き、ほっとしてました。
ところが...昼の2時過ぎに大地震発生。
何度も何度も揺れる神奈川にあるデータセンター。
すごい地震でなかなか収まらない。耐震構造ばっちりのはずなのにこの揺れは異常だと感じる。宮城県では大惨事になっており、JRはその日に即運休中止が言い渡された。そのため私は帰れなくなってしまった。
他の同僚は歩いて帰りだし、私は翌日も朝から仕事があったので帰るのを諦める。
駅へ歩いていったが私鉄もまったく動いていない。コンビニでカップ麺と夜食を買い再び職場へ戻る。職場では同僚と話し合い2つ隣にある駅に漫画喫茶があるので電車が止まっていたため歩いて向かったのだが漫画喫茶も満室だった。2箇所回ったがいずれも満室なので同僚を置いて、私はもと来た道を歩いて職場に戻った。
着いたのが11時前。足がクタクタ。運動していなかったせいか本当に痛い。軽くまたカップ麺を食って椅子を並べて眠った。眠りが浅く何度か起きてしまった。朝6時には置き、仕事開始。休憩している時、韓国の友人から電話が繋がらないので亡くなったのかと心配したと聞かされた。13時には仕事を終えて帰宅。恵比寿の喫茶店でコーヒーを飲んでいるとき今度はタイ人の友人が電話を掛けてくれた。電話が通じなかったため心配していたと聞かされた。明日は父の外出日!それにしても原発の放射能漏れが心配だ。
父の鼻の管が抜けました。
鼻から栄養を摂取していたのだが、ようやく抜けて午前中に父からメールが届きました。
ようやく食事制限が解除された模様。
徐々に食べていけることができたらいいな。
頑張って!
外出することが決まりました。
日曜日また楽しみです。
少しでも父の面倒を一緒に居てみてあげたい。
路上が凍っている...。
今日は父からメールが届き明日の昼から重湯がでるかもとメールが来ました。
調子も良いようで安心です。
今日は毎週日曜に観ているアニメを9時半で切り上げ、残りはビデオ録画をし、病院に向かいました。一時退院で10時から17時半まで申請してます。
病室に向かうと父は栄養の点滴が終わりかけの状態だった。しばらくすると終り、10時少し前には病室を出ちゃいました。エレベーターが点検中のため病室内を遠回りしなくちゃならなかった。先に車をだしに行った。弟の車は車高が高いから乗るのも大変そう。
帰宅するとすぐに盆栽が気になるのか見に行った。テレビをつけると琵琶湖マラソンで父と一緒にテレビを観る。この大会では箱根駅伝で走った今井選手も出場してました。
11時過ぎに近辺の叔母さん宅に父は向かった。
昼は父は重湯。私は、ラーメン。なんとか食べることができてホッとした。
昼食べて薬飲んだあとは眠ってしまった。やっぱり疲れたのかな?
3時過ぎに目を覚まし、うどんを食べたいというので自転車で急いで買いに行った。父は食べ物に関してはうるさいのです。モモ肉にもこだわります。
うどんを少し食べた後、5時前になったのでそろそろ病院へ戻る準備を始める。
私が弟の車を借り連れて行った。
母から聞いたのだが、父の担当医師N.Y先生がT大の大学病院に戻ることを聞かされた。はじめは冷たい人だなと感じたが、いろいろと気を配って頂いて感謝してます。3月いっぱいで終わりなそうで先生も言うのを迷ったそうです。
食べることができたら退院できるかな。明日の容態が心配です。
今の時期、とても辛いです。
鼻はムズムズするし、クシャミも止まらない。
久しぶりの2連休で、朝8時半から散髪。そのまま、9時半には終わったので病院に直行しました。父は栄養剤を点滴中であまり体調よくなかったので終わった頃に再び行く約束をして帰宅。お茶が無い事に気がつき、弟に頼む事にした。
帰宅すると弟は既に起きており朝食中。11時半頃には弟と母も病室へ。まだ点滴中だったため、すぐに病院を後にし、日曜用具を買いに行ったりした。14時過ぎに父から電話があり、15時過ぎに病院へ向かった。ある程度体調もよくなっており、談話室で話し込む。見舞い客も少なく、明日は一時退院が出来る日。父も食事が取れるか不安でいるようだった。